2014年3月14日金曜日

3月11日にあたり


こんにちは。

雪がやっと溶けてきましたが、まだまだ冷え込みが続きます。

春はもう少し先になるのかもしれませんね。待ち遠しいです。



11日で東日本大震災から3年。皆さんはどのようなお気持ちで過ごされましたでしょうか。

改めまして、亡くなった方々のご冥福を心からお祈りいたします。

そして今なお心を痛める皆さまが、1日でも早く心が穏やかになられるようにと願ってやみません。



昨日は福島県新地町に伺い、先日のイベントを開催した保育園へ写真をお届けして参りました。

申し込み書の配布などでお世話になった先生方にも、子どもたちがとても楽しんでいた姿をご覧いただけましたら何よりです。


そしてその後、別の保育園へ。

こちらは昨年9月と今年2月のイベントが中止になってしまった園です。

偶然にも2回とも同じ保育園が対象でしたので、改めてご挨拶に伺いました。



所長先生とお話させていただき、次回こそはとリベンジを誓いました。

先生のお孫さんもご参加予定だったそうです。

色々と準備をして楽しみにされていたそうで、次回はこれまでの分まで存分に楽しんでいただければと思います。




先生とのお話の中で、震災から3年という事で色々と貴重なお話をうかがいました。


こちらの保育園は内陸にあるため津波による園舎や園児さんへの被害は無かったのですが、

沿岸部にお住まいの先生の中には、家屋が全壊したりご家族を失った方もいらっしゃるそうです。




そして以前、新地町の海岸のすぐ側に別の保育園があったそうなのですが、

所長先生や他の何名かの先生は、そちらに勤務されていたそうです。

震災前に他の園と統合となり、震災時は民間企業が使用していました。




園庭の遊具はそのまま残っていたそうなのですが、建物が津波によって流出した際、
全壊した先生のお宅になんとその滑り台が流れ着いたそうです。



「○○先生のところに来たかったんじゃないかな。」 と、所長先生。


沢山の子ども達が笑顔で遊んだであろう滑り台。


最後はいつもそばにいらした先生の所へ来たのかもしれませんね。





そしてもうひとつ驚いたお話がありました。



こちらは私個人の話になってしまいますので、ASOBOをご支援くださる皆さんに不快な思いをさせてしまいましたら申し訳ざいません。





震災で、新地町在住の知人が津波の犠牲になりました。


同居していたご家族も全員亡くなり、生前にプライベートビーチだと言っていたほど、海の目の前に建っていた自宅は跡形もなく流されてしまいました。


なぜ逃げなかったのだろうか、同僚の方も被災してしまったのだろうか…。


勤務先やご家族などのことをを知らなかった私や共通の友人は、

彼の最期について知るすべがないまま3年が経っていました。



そして所長先生に知人の話をしたところ、


「その方、お名前はなんていう方なの?」


「○○さんというのですが…。」


「あら…。  えいちゃんでしょ?(知人の名前)」


なんと、所長先生がご存知だったのです。



先述の保育園の卒園生だったそうで、30年前のことを先生はよく覚えていらっしゃいました。

保育園の目の前に住んでいて、先生によると彼は偶然にもその跡地に建った会社に勤務していたそうです。

そしてその会社に勤務されていた他の方は被害に遭われていないそうで、

恐らく体の丈夫でなかったご両親が気になって自宅に戻っていたのではないか、という事でした。


とても心根の優しい方でしたので、改めて溢れた悲しさとともに、なんだかとても納得することができました。



知る由も無かった情報を先生からうかがう事ができ、本当に驚きました。

ASOBOを通してこうしてお話ができたこと、心から感謝の気持ちでいっぱいです。






震災から4年目に入りました。

これからも奢らず、自己満足にならず、このご縁を大事に、

できる限りではありますが、子どもたちへの丁寧な活動を続けて行きたいと思います。




これからもASOBOへのご支援を、どうぞよろしくお願いいたします。